ピラティスができるまで

ちっこ

◎ジョセフ・ピラティスとは
ピラティス。

私のやり方は正しいんだ。私を見てほしい。アスピリンを飲んだことはないし、ケガをした日は一日だってない。国中(アメリカ)が、世界中が私のエクササイズを行えば、もっと幸せな毎日が送れるはずだ。創始者ジョセフ・H・ピラティスの言葉(当時86歳)

それが人の名前ということを知っていますか?『ピラティス』を編み
出した人が、ジョセフ・H・ピラティスです。
ピラティスは一般的に、指導者に対しグループでするマットピラティスと、機械を使い1人(または少人数)でするマシンピラティスの2種類があります。
なぜ2つの方法があるのか?は、ピラティスの歴史をひもとけばわかるんです。

◎病弱な少年がことの始まり
ドイツで育った病弱だった少年が、研究を重ねて自身を鍛えあげたすえ、たくさんの人を元気にする運動を生みだしたドラマは「ピラティスは私もできる」という親近感と勇気をあたえてくれます。
ピラティスさんは病弱な体をどうにかすべく、ヨガや武術、ボクシングなど何でもするだけでなく動物の動きも研究し、身体と精神のバランスの大切さに若くして気づきます。
そして没頭するスポーツではどこでも達人の域の成績を残します。

『身体の隅々まで勉強した。実際に体を動かしながら、頭に叩き込んでいった。子供の頃の話だが、森に出かけては寝そべって、何時間も何時間も、動物の動きや動物の母親が子供を教育する様をじっと観察した。』

かつて喘息やリウマチ熱などに苦しんでいた少年が30代では、イギリスに渡りサーカス団員、ボクサー、警官の護衛術指導までするようになります。

◎ピラティスエクササイズの誕生
第一次世界大戦で入れられた収容所では看護師となり、収容者の健康管理やリハビリのために、そこで運動を教えはじめます。
これこそピラティスエクササイズの誕生です。
日本では1912年に明治時代が終わり、大正時代に移ろうとする頃。
自分も一緒に動くと体がもたないため、ベッドのバネなどで、自分で考えてピラティス器具を作り出していき、それが今のマシンピラティスです。
そこでエクササイズを続けた結果、イギリスでインフルエンザが大流行した年も、ピラティス指導を受けていた人は一人としてインフルエンザになることはありませんでした。

◎ピラティスの本質
ピラティスさんは、創り出したピラティスメソッドのことを『コントロロジー』と呼んでいました。
「身体のここを こうやって動かそう」、思うままに動くことができること。
自分の全てを自分の意思でコントロールして動かす
こと。
身体の忘れている感覚をエクササイズを通して思い出し、間違った使い方や習慣を矯正すること。そんな意味合いが含まれています。
言い換えれば、動くところばかり使い力づくでエクササイズを真似てするだけでは、ピラティスで本当に大切なことからは離れてしまうともいえます。

『私のやり方は正しいんだ。私を見てほしい。アスピリンを飲んだことはないし、ケガをした日は一日だってない。国中(アメリカ)が、世界中が私のエクササイズを行えば、もっと幸せな毎日が送れるはずだ。』

創始者ジョセフ・H・ピラティスの言葉(当時86歳)

かつて病気に苦しんだ体の弱かった少年が亡くなったのが86歳、大往生といえるのではないでしょうか。

ピラティスが好きである一個人としては、ピラティスさんの思いとともにピラティスメソッドが広がるといいなぁ、と思っています。

そしてピラティスさんの飽くなき研究心と考える力を、私はいつまでも尊敬すると思います。

参考:ピラティス道(著者:渡辺満里奈)、PILATES Mastery

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